退転(たいてん)

 御書のいたるところに退転という言葉がでてきます。有名な御書にはこのように書いてあります。「聴聞するときは燃え立つように思えども、中ほどは信心も弱く僧をも供養せず、自慢して悪見をなす」

 信心がなくなる事を退転と言います。つまり、南無妙法蓮華経法華経)に対する信仰心がなくなることを退転と言います。「南無妙法蓮華経、なかなかよさそうですね。私も信じてみようかな」最初はこのような気持ちになります。「南無妙法蓮華経と唱えると、何だか体が暖かくなってきて何か精神が集中してよいですね。凄いやこれは!」と思い、「聴聞するときは燃え立つように思えども、中ほどは信心も弱く僧をも供養せず、自慢して悪見をなす」これが退転ということです。

 最初は燃え立つように思った心がだんだん進んでいくうちに「なんだ、分かったぞ! 仏法とはこんなものか。俺くらい偉い奴はいない!」次にこのように思うのです。それで全ての信心がわからなくなるのです。それを退転というのです。「進まざるを退転という」のです。

 退転の反対は精進ということです。精進とは、常に前進するのです。常に前進するとは、何が前進するのでしょう。信心をますます深くしていくことです。「南無妙法蓮華経は絶対だな」と、これを深く信じられるようになっていくことが前進です。

 それから、お題目を唱え、折伏を行じることです。「そうか、誤った人々の思想を直していかなければならないな」と思い、これを一生懸命行じていくのです。これを毎日、毎日、行っていくことが精進行であり、折伏行です。

 退転になると、「お題目を唱えなくなり、信仰しなくなる、信心がなくなる」というように、「信心がなくなる」ということを身・心が退転するというのです。そして、お題目を唱えなくなることは体が退転することです。退転には身と心があるのです。

 そして、行をやらなくなるのです。折伏行をやらなくなるのです。それが退転なのです。だから、誰でも着実に毎日前進していかないとフッと退転の心が起きるのです。「こんなことをやってもしょうがないのではないか」、「もっと良い方法があるのではないか」、「もっと御利益のある方法があるのではないか」と考えて真言密教に行ったり、念仏に行ったり、立正佼成会に行ったり、統一教会に行ったり、阿含宗に行ったりするのです。

 心は退転していなくても、身が退転している場合があります。「心はまだ信じていますよ」と言ってもお題目を唱えない、これは体が退転しているのです。形は坊さんでお寺にいて、ドンドンドンと太鼓を叩いて「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えていますが、心は信じていない場合があります。信仰とは、「お題目を唱えているから信じている」とか、「心で唱えているからよい」というものでもないのです。身と心の両方を常に考えて、いつもお題目を唱え信仰心を高めていくのです。

 「信仰心を高めていくためにはどうしたらよいのか?」というと、これが道理を追究していくということです。「日蓮大聖人様の仏法は何を説いたものであるのだろうか?」、「何を我々に教えてくれているのだろうか?」、「南無とはどのような意味なのか?」、「妙法とはどのような意味なのか?」、「蓮華とはどのような意味なのか?」、という疑問点を持って、それに向かって一直線に進んでいくことが信仰です。それが無くなったら退転というのです。

 日蓮大聖人様の御心意が分からず、ほとんどの人が退転してしまうのです。「魔にたぶらかされて退転する」と書いてあるのです。人々を退転させるものは、三類の強敵(俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖増上慢)、三障四魔(三障―煩悩障・業障・報障、四魔―煩悩魔、陰魔、死魔、天子魔)が原因になり退転するのです。

 三類の強敵の俗衆増上慢とは、親とか兄弟が、「私はあなたのことを心配しているのよ」、「変な信仰をするのはよしなさい」、「今に大変なことになるわよ」、「信仰を辞めるのよと、何も自分ではわからないくせにそのように言ってくるのです。これを俗衆増上慢というのです。

 道門増上慢とは、けっこう偉そうに見えるお坊さん(チンドん屋のような赤とか、紫の衣を着た)が「南無妙法蓮華経は間違っている」と言ってくることです。

 僭聖増上慢とは、ある程度勉強して学者、文芸評論家、大学教授などの世間的には立派そうに見える人が言ってくることです。

 三障の煩悩障とは、貪欲(どんよく)、瞋恚(しんに)、愚癡(ぐち)などの煩悩による障魔です。業障とは、五逆罪、十悪業などの業による障りです。報障とは、三悪道などの苦報による障りです。また国主や父母または社会的権力者によって起こる障りがこれにあたります。

 四魔の煩悩魔とは、三障の中の煩悩障と同じ働きのものです。陰魔とは、五陰魔ともいい、五陰(色・受・想・行・識)の和合に障りが出ることです。つまり正法の信仰者の身体に病気を起して信心を迷わせる魔です。死魔は、正法の信仰者が若くして亡くなったり、命にも及ぶ迫害が起きることによって、信心を迷わせる働きをする魔です。天子魔とは、他化自在天子魔ともいい、三障四魔のうちで最強の魔であり、一切の障魔の働きを生じる根源の第六天魔王が直接に働くものです。例えば多くの民衆から仏のように敬われている者が民衆を正法に迷わせたり、民衆を率いて正法に迫害を加えたりする魔です。これは、法然空海親鸞などがそれに当たります。

 その他には、『己心の魔』があり、成仏しようとする時に『己心の魔』が出てきて成仏を邪魔するのです。『己心の魔』とは、「信仰なんかくだらないぞ」という声が聞こえ、信仰を利用して民衆を支配するものだと考えたりします。これが、創価学会池田大作は己心の魔にやられたのです。

 煩悩障・業障・報障(三障)は自分に関する事ですが、自分ではなくて他から来る魔があるのです。これは病気、死魔、天子魔などです。それを打ち破り初めて成仏はあるのです。それらを一瞬体たりとも近寄らせてはいけません。
 
 ともかく退転すると永遠の不幸に向かって自分が動き出すということです。退転だけはしないようにしていきましょう。