新疆への機内で思い出した「美人先生」

論長論短 No.203

宋 文洲

新疆への旅は計画的ではありませんでした。国慶節の休暇を利用してチベット旅行をするつもりでした。しかし、昨年から外国人がチベットに入るには許可書が必要になったため、2週間前から家内の許可書を申請しましたが、許可が下りたのは休暇の三日前でした。その時にはすでに飛行機も旅館もなくなってしまい落ち込みました。

そこで急遽思い付いたのは新疆でした。子供が未だ小さいため、家族の砂漠横断は過酷過ぎて来年か再来年にしようと思っていたのですが、こうなったら無理しても今年に行こうと決心しました。すぐ北京の秘書に電話して、なんとかウルムチへの切符だけは押さえてもらいましたが、あとは全部行ってから考えることにしました。

休日の前日、中国のジュース最大手の創業社長のところに行きました。サントリー中国の社長が打合せに来るので食事会に同席してほしいというのです。席上「明日からの休日をどう過ごしますか」と聞かれて「新疆に行きます」と答えたのです。同じ山東省出身の彼は私の了承も取らず、その場で新疆支社の社長に電話してドライバーを付けるように指示しました。とても断れる雰囲気ではないので黙ってご好意を受け入れました。新疆の旅は全て偶然と意外から始まりました。

ウルムチへの飛行機に乗った途端、そこはもう新疆です。乗務員も乗客も
半数近くカザフスタンウイグル族の方々で、機内放送も中国語とウイグル語です。その雰囲気に刺激され、なぜか急に昔、日本語を教えてくれた日本人先生のことを思い出しました。私は中国の東北大学を卒業後、国費留学の国家試験を通過し、日本への留学を指示されました。もともと外国語は英語を勉強していたので派遣先が日本になれば急遽、10カ月ほど日本語の特訓を受けなければなりません。

日本への留学を決められた300人は一か所に集められ、日中の文化協定に
よって東京外国語大学から日本人先生達がやってくるのです。私のクラスの担当は20代後半の美人先生でほかのクラスから羨ましがられました。途中から新疆からの国費留学生も1クラス加わりました。彼らは全員、少数民族から選ばれる人達でした。最初に彼らを見た時、「美人先生」が私たちに「なぜ外国人がここにきて日本語を勉強するんですか」と聞いてきたのです。

「彼らは外国人ではありません」と答えても先生は釈然としない顔をして
いたことを今も覚えています。あれから日本と30年近く関わってきましたが、「美人先生」がなぜ彼らのことを外国人だと思うかがよく分かりました。黄色人種以外の民族と同じ国民として同じ土地で暮らす経験がない日本人にとって、中東系や欧州系の顔をする人達は永遠に「外国人」なのです。

私の隣席は物静かなおばさんでした。4時間以上の飛行ですので知らないうちに雑談を始めました。私の姉と同様、若いうちに北京から新疆に来ましたが、退職した今、新疆と北京と半々の時間を過ごしているそうです。

「昔なぜ新疆に来たのですか」と聞きましたが、中国人には珍しく難しい表情で沈黙してしまったので「ああ、いいです」と言ってあげました。きっと私の家族と似たような辛い経験されたに違いないと思いました。数十年前、内地で普通の生活できるならば、風と砂しかない不毛の砂漠に行きたい人などはいませんでした。

新疆に移住した漢民族の多くは苦難の過去を持つ人々と彼らの末裔達です。(終わり)