教法流布の先後を知る

教法流布の先後(前後)とは、教法を弘める順序・次第のことをいいます。日蓮大聖人は『妙法曼陀羅供養事』に

「病(やまい)によりて薬あり。軽病には凡薬をほどこし、重病には仙薬をあたうべし」(御書 690頁)

また中国の妙楽(みょうらく)大師(だいし)も

「教弥(いよいよ)実なれば位弥下(ひく)く、教弥権(ごん)なれば位弥高し」

と述べているように、機根(きこん)が勝れる者には低い教えをもって、下劣の者には高度な教えをもって、はじめて救済できることを示されています。すなわち、釈尊の滅後、時代が進につれて仏法との結縁が薄い衆生が出生するため、次第に衆生の生命は濁(にご)り、仏法に対する機根も下劣となっていきます。時代と共に次第に堕落(だらく)していく民衆を救うためには、それぞれの時機に適した教法を弘めなければならないのです。
 
 仏法弘通に順序・次第
 
このような意義の上から、日蓮大聖人は『教機時国抄』に

「五に教(きょう)法(ほう)流布(るふ)の先後(せんご)とは、未だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴(き)かざる者あり。 既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり。必ず先に弘まる法を知りて後の法を弘むべし。先に小(しょう)乗(じょう)権(ごん)大(だい)乗(じょう)弘まらば後に必ず実(じつ)大(だい)乗(じょう)を弘むべし。 先に実大乗弘まらば後に小乗 ・権大乗を弘むべからず」(御書 271頁)

と仰せになっています。すなわち、教法流布の順序・次第として、先に小乗・権大乗が弘まったならば、後には実大乗を弘むべきであり、もしまた実大乗が弘まっていたとすれば、もはや小乗・権大乗を弘めてはならないというように、仏の滅後において弘まるべき教法に順序・次第がある、と知ることが「教法流布の先後を知る」ということです。

経文には世が進につれて人々の機根が低下し、以前に衆生を善導し社会を
救済した教法も、次の時代ではその効力を失うことが説かれており、仏法の流布に当たっては、自ずから教法の大小高低における順序・次第を考慮して弘通することが肝要なのです。これが「教法流布の先後を知る」べき所以(ゆえん)です。

「教法流布の先後」とは「三(さん)時(じ)弘(ぐ)教(きょう)の次第」

日寛上人は『報恩抄文段』に

「第五の教法流布の前後とは、 衆生の病に随(したが)って三時弘教の次第あり。既に小乗の次には権大乗を弘め、権大乗の次には実大乗の法華経を弘む。故に知んぬ、実大乗の次には文底深秘の大法を弘むべきなり云云」(日寛上人御書文段 464頁)

と御指南されているように、「教法流布の先後」は「三時弘教の次第」に該当します。この「三時弘教の次第」とは、正(しょう)像(ぞう)末(まつ)の三時に弘まる教法の次第のことであり、これを理解しやすいように病人と薬に譬(たと)えると、次のようになります。

① 正法(しょうぼう)時代…軽い病の衆生に対して、迦葉(かしょう)・阿難(あなん)・竜樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)等が小乗教・権大乗教という軽い薬を与える。

② 像法(ぞうぼう)時代…少々重くなった病の衆生に対し、天台(てんだい)・伝教(でんぎょう )等が法華経迹門・理の一念三千の良薬(ろうやく)を与える。

③ 末法時代…重病に陥(おちい)った衆生に対し、日蓮大聖人が法華経本門寿量品文底(もんてい)秘(ひ)沈(ちん)、事の一念三千の南無妙法蓮華経の大良薬を与える。

 
つまり時代が進むにしたがって、病も次第に重くなり、それを治す薬もよ
り勝れたものとなっていくように、教法流布にはすべて従(じゅう)浅(せん)至(し)深(じん)の前後関係があることを弁(わきま)えなくてはなりません。この次第に逆行したり、無視する等、順序・次第に適(かな)わない教法を弘めることは、仏法流布の順序次第を破ることになり、その結果、教法としての利益を失い、かえって悪業の元凶となって民衆を塗炭(とたん)の苦しみに堕(お)としてしまうのです。

 末法に弘通すべき法は大聖人の下種仏法のみ
 
このように、流布の順序・次第に則ってみれば、末法今時は、正法時代の
迦葉・阿難による小乗教の弘通、竜樹・天親による権大乗教の弘通、そして像法時代の天台・伝教による法華経迹門の弘通の後を受けて、法華本門の大法が弘通されるべき次第に当たっています。しかし法華経本門の大法といっても、釈尊の本門は脱益(だっちゃく)のために説かれた本門であり、これを中心とした一連の熟脱(じゅくだつ)の化導は正像二千年までに終了します。そして、本未有善(ほんみうぜん)の機のみが出生する末法には、釈尊の脱益本門は隠没(おんもつ)して功徳を失ってしまうのです。

したがって、末法・本未有善の衆生のために弘通されるべき法華本門の大
法とは、釈尊の化導における熟脱の本門ではなく、まさしく大聖人の文底下種の本門に他ならず、地涌の菩薩への別付嘱(結要付嘱)の要法たる独一本門の南無妙法蓮華経が弘まるべき次第に当たっているのです。

今、日本に限らず、世界のいたるところで、道教キリスト教イスラム
教などの外道や、小乗的な戒律が重視されている様相がありますが、これらは実に仏法流布の次第を逆行した本末転倒(ほんまつてんとう)の所為(しょい)であり、日本乃至世界中で繰り返される災難、悲劇の根本原因がここに存することを認識しなくてはなりません。

私たちは、今こそ無疑(むぎ)曰信(わっしん)の信心をもって果敢なる折伏を実践し、現代が日蓮大聖人の下種仏法が弘まるべき時に当たっていることを、世界中のあらゆる人々に知らしめる義務があるとの大確信を堅固にしていくことが大切です。そして、この確信と折伏実践こそが、「教法流布の先後を知る」ことになるのです。

    大白法・平成15年5月16日刊(第621号より転載)