教を知る

日蓮大聖人は、正しい仏法を弘め、民衆を救うためには、その宗旨の決定に当たり、教(きょう)・機(き)・時(じ)・国(こく)・教(きょう)法(ほう)流布(るふ)の前後(ぜんご)の「宗教の五綱(ごこう)」を知ることが大切であると示されています。この五綱中、「教」について知るとは、それぞれの宗教の教義を比較検討し、何が真実であり、最勝の教えであるかを判釈することをいいます。
 
 「教」とは
 
本来「教」とは、天台大師が『法華玄義』の中で、「教とは、聖人、下に被(こうむ)らしむるの言なり」と示されているように、真理を悟った聖者が、衆生を救うためにその内容を指し示すものをいいます。しかし、それらの「教」は千差万別で、様々な異なりがあります。これを大聖人は『顕謗法抄』に

「第一に教とは、如来一代五十年の説教は大小・権実(ごんじつ)・顕密(けんみつ)の差別あり」(御書 285頁)

と示されています。すなわち、仏の教えには大乗教と小乗教、権教と実教、顕教密教とがありますが、それらには高低・浅深(せんじん)の立て分けがあり、まずそれを弁(わきま)えなくてはならないと仰せになっています。

そして『開目抄』には

「教の浅深をしらざれば理の浅深弁ふものなし」(同 561頁)

と、教えの内容・論理というものを知るためには、教の勝劣(しょうれつ)・浅深を知らなければならないと仰せられています。そこで、その「教」を比較判定するための基準が必要となるのです。

大聖人の御書の各所には、教法の勝劣・浅深が説かれていますが、体系的なものとしては『開目抄』に説かれる「五(ご)重(じゅう)相対(そうたい)」と、『観心本尊抄』に説かれる「五(ご)重(じゅう)三段(さんだん)」の判釈を挙げることができます。

この他にも御書には「三(さん)重(じゅう)秘(ひ)伝(でん)」、あるいは「第三の法門」などの判釈もありますが、ここでは「五重相対」を取り上げ、簡単に説明することにします。
 
 「五重相対」とは
 
五重相対は、仏教及び仏教以外の一切の教えを五段階に比較相対し、次第に従(じゅう)浅(せん)至(し)深(じん)していく教判をいいます。

① 内外(ないげ)相対

内道と外道の比較相対をいいます。内道とは仏教のことで、ここには過去・現在・未来の三世に亘る因果の理が明かされています。外道は仏教以外の宗教をいい、三世の因果を明確に説いていません。したがって外道は、仏教に比べて劣っているといえます。
 
② 大小(だいしょう)相対
 
大乗教と小乗教の比較相対をいいます。大乗教は自分はもとより、大勢の人々を救う教えですが、小乗教は自らの解脱(げだつ)のみを説く教えで、自他共に救う大乗の教えからみれば劣った教えとなります。
 
③ 権実(ごんじつ)相対
 
権教と実教の比較相対をいいます。「権」とは「仮」の意で方便の教えです。「実」とは「真実」の意で法華経のことをいいます。権教である爾前の諸経は、二(に)乗(じょう)のみならず女人や悪人の成仏も明かされず、一念三千(いちねんさんぜん)の法門が説かれていません。これに対して、法華経は諸法実相(しょほうじっそう)・一念三千の法門が説かれ、さらに二乗作仏と仏の本地である久(く)遠(おん)実(じつ)成(じょう)が明かされています。したがって、法華経こそ真実の教えと云えるのです。
 
④ 本(ほん)迹(じゃく)相対
 
法華経の本門と迹門の比較相対をいいます。本門は仏の久遠の成道を説き明かしているので勝れ、迹門は始成(しじょう)正覚(しょうがく)の垂迹(すいじゃく)の仏が説く法なので劣ります。

⑤ 種脱(しゅだつ)相対
 
文底下種(もんていげしゅ)の仏法と文底脱益(もんていだっちゃく)の仏法の比較相対をいいます。文底下種の仏法は、成仏の根源である下種の本法を久遠(くおん)元初(がんじょ)の本仏によって顕されるので勝れ、文上脱益の仏法は、久遠五百(ごひゃく)塵点劫(じんでんごう)の垂迹の仏の法なので劣るのです。

「教を知る」とは以上の「五重相対」の相対判釈によって、教義の高低・勝劣・浅深が判定されるのです。「相対」とは、二つの教えの内容を比較して高低・浅深のけじめをつけ、最終的に最上究極の教えを選び出すことであり、これがなければ末法の正法を導き出すことはできないのです。

第二十六世日寛上人は、この「教綱判」について『報恩抄文段』に

「第一の教とは、一代諸経の浅探勝劣を判ずるを教と云うなり。天台大師は五時八教を以て一代の浅深を判じ、以て法華最第一を顕わせり。蓮祖聖人は三重の秘伝を以て文底秘沈の大法を顕わしたまえり」日寛上人御書文段 463頁)

と示されています。すなわち、日蓮大聖人は「五重相対」の中の最も大切な権実相対・本迹相対・種脱相対という「三重の秘伝」によって、文底下種の仏法を選び出されました。そしてこの文底下種の大法である南無妙法蓮華経の仏法こそが、一切の宗教の中で最も勝れた教えであり、末法の衆生が成仏するための唯一つの教えであることを明らかにされたのです。

すなわち末法今日において、これを弁えることが「教を知る」ことになるのです。

   大白法・平成14年12月16日刊(第611号より転載)