願兼(がんけん)於(お)業(ごう)

  日蓮大聖人の御教示

「例せば小乗の菩薩の未(み)断惑(だんなく)なるが願兼(がんけん)於(お)業(ごう)と申して、つくりたくなき罪なれども、父母等の地獄に堕ちて大苦をうくるを見て、かた(形)のごとく其の業を造りて、願って地獄に堕ち
て苦しむに同じ。苦に代はれるを悦びとするがごとし。此も又かくのごとし」(御書541頁)

日蓮大聖人は『開目抄』に、御自身が法華経に予証された法華経の行者であり、佐渡(さど)配(はい)流(る)もまた悦(よろこ)びであることを仰(おお)せあそばされ、御自身の御境界を例えるならば願って苦しみの世界に生まれた小(しょう)乗(じょう)の菩薩(ぼさつ)と同じであると仰せです。

この小乗の菩薩は、地獄(じごく)に堕(お)ちて苦しんでいる父母を救うべく、自分も罪業をわざわざ造って地獄に堕ちて父母を救うごとく、本来の法華経による衆生救済の願いを叶えるべく、悪業を造り、悪世に生まれて、しかも法華経を説いて苦しむ衆生を救うと説かれます。

つまり大聖人は、様々な大難は法華経の行者として自ら願った大難であり、一切衆生を救済するために受けている苦しみであるから、それは悦びであるとお示しになっているのです。

  「願兼於業」とは

なお、「願兼於業」とは、妙楽(みょうらく)大師(だいし)の『法華文句(もんぐ)記』巻八にある語句で、「願って業を兼(か)ぬ」と読みます。法華経『法師品第十』に、

「薬王(やくおう)、當(まさ)に知るべし。是(こ)の人は自ら清浄の業報を捨(す)てて、我が滅度の後に於(おい)て、衆生を愍(あわ)れむが故に悪世に生(うま)れて、広く此の経を演(の)ぶるなり」(法華経320頁)

と、本来、清浄なる徳を積んだ大菩薩が、自ら願って浄業を捨て、悪世に生まれて妙法を弘めることが説かれています。これを妙楽大師は『法華文句記』の中で、

「次に薬王より是(ぜ)人(にん)自(じ)捨(しゃ)清(しょう)浄(じょう)に至っては、悲願牽(ひ)くが故なり。仍(なお)是れ業生なり、未(いま)だ通応に有らず。願って業を兼ぬ、具(つぶさ)に玄文(げんもん)の眷属の中に説くが如し」(法華文句記会本 中633頁)

と、『法師品』で説かれたこのような在(あ)り方を「願兼於業」と呼んだのです。つまり「願兼於業」の「願」とは、法華経の教えが勝れている故に自然に大慈悲が起こり、その大慈悲の上から衆生を救いたいという願いが起こり、妙法弘通のためにこの世に生まれることをいいます。そして「業」とは、凡夫が過去世の罪業によってこの世に生まれることをいいます。

「願兼於業」の場合は、願が業と全く同じ用(はたら)きをするので、業によって生まれたのと同じように、悪世の苦報に縛(しば)られた境界なのです。

このように「願兼於業」とは、本来ならば清浄な業報があるにもかかわらず、広く妙法を弘通する誓願を立てて、願って悪世に生まれ、悪世の衆生を救済するためにその衆生に同苦して、しかも、その業苦と同じ境界に立って妙法を弘めることをいいます。

大聖人は、こうした法華経の行者としての御振る舞いを通じて、私たちが目的とすべき仏道の大願をお示しです。すなわち『御義口伝』に、

「大願とは法華弘通なり、愍(みん)衆(しゅ)生(じょう)故(こ)とは日本国の一切衆生なり、生(しょう)於(お)悪(あく)世(せ)の人とは日蓮等の類なり、広とは南(なん)閻(えん)浮(ぶ)提(だい)なり、此経とは題目なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るものなり」(同 1749頁)

と仰せられ、この御文について前御法主日顕上人猊下は、「悪世に生まれるというのは、過去の大願によるのであるということです(中略)大願があるからこの悪世の国土に生まれてくる、その大願とは法華を弘通する日蓮等であるとお示しであります」(大白法 519号)と御指南されています。

つまり、私たちは今、法華弘通の大願をもって、末法の悪世に生まれたと言えるのです。私たちは、煩悩・業・苦に縛られた本未(ほんみ)有(う)善(ぜん)の荒凡夫ですが、「願ってこの正法を弘めるために、悪世末法に生まれてきた」という願兼於業の誓願を有する自覚をして妙法唱題に徹し、折伏弘教に精進することが大切です。

平成二十一年に向かって御法主日如上人猊下は、本年の元旦勤行の砌、「一体いかなることをなせば、御本尊様は 御嘉納あそばされるのか。
先に結論を言えば、それは大聖人の御金言のままに、純真に自行化他の信心に励み、世のため人のため、一切衆生救済の大誓願に立って、御本仏の御遺命たる一天四海本因妙広宣流布達成に我が身を尽くしていくことにほかなりません」(同709号)と仰せです。宗門は今、御法主上人猊下の御指南のもと、平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年の佳節における「地涌倍増」と「大結集」をめざし、大前進をしています。

この大事な佳節に当たり、私たちも願って正法を弘めるべくこの末法悪世に生まれてきているとの自覚に立ち、大聖人御遺命の広宣流布達成のため、先ずは二年後の平成二十一年に向かい、未だ正法に巡り値(あ)えずに苦しんでいる一切衆生に対して、我が身を尽くして、より一層、折伏行に励んでまいりましょう。

  大白法・平成19年3月16日刊(第713号より転載)