歴史認識について(韓国は植民地ではない)

歴史認識について(韓国は植民地ではない)

 何かにつけて韓国大統領の朴 槿惠(パク・クネ)が、「歴史認識が違う」ということを盛んに言っています。「韓国と日本は歴史認識がちがうのだ」というのです。どのように違うのかというと、韓国は日本に植民地にされたという認識を持っているのです。
 「植民地というのは、足を踏んだ人と踏まれた人、踏んだ人の足は痛くありませんが、踏まれた人は飛び上がるほど痛いのです。だから、韓国人の苦痛とか、苦悩とか、そのようなことが分からないから日本人は勝手なことを言うのだ」と言っているのです。
 そして、韓国人は「韓国は日本の植民地にされたのだ」ということを言うのですが、これは全くの出鱈目で真っ赤なウソです。韓国は日本の植民地ではありません。植民地のことを勉強すれば分かりますが、アメリカもイギリスやフランスの植民地、カナダもフランスの植民地だったこともあるのです。インドもイギリスの植民地だったので、ほとんどの大国は植民地を経験しているのです。アメリカ合衆国は、植民地がたくさんあり、それが一つ一つ戦って独立してアメリカ合衆国という国ができたのであり、アメリカというまとまった国があったわけではないのです。
 まず、韓国が日本の植民地ではない一つの理由は、韓国が正式に議会で決議をして、「日本に併合してください。」ということを韓国から申し込んできたのです。これが日韓併合(1910年)です。
 当時の韓国事情を考えてみると、上には帝政ロシアがいたのです。そして、虎視眈々と不凍港を狙って韓国に攻め入る準備をしていたのです。
 西を見れば中華民国があります。「韓国など独立しても中華民国の属領だ」というのです。すると中国に併合されるか、ロシアに併合されるか、韓国人が考えた時に「日本に併合してもらいましょう。どうぞ、我々も日本人にしてくれませんか。」ということです。それで、韓国の議会の要請があったのです。
 最初、日本はしぶしぶだったのです。「そんな貧乏国を併合したら大変だぞ。」ということを思ったのですが、しぶしぶ韓国を併合することになったのです。対等合併ですから、当時、韓国には李という王様がいたのですが、日本の皇族にしたのです。一段下になどしていません。日本の皇族にしたのです。李王家には、日本の皇族から梨本宮方子さまが嫁に行ったのです。そのように合弁という形をとったのです。
 1910年の韓国併合に関する条約は、その第3条で「日本国皇帝陛下は、韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太子殿下並其の后妃及後裔をして各其の地位に応し相当なる尊称威厳及名誉を享有せしめ且之を保持するに十分なる歳費を供給すへきことを約す」(片仮名を平仮名に改める)として、韓国皇帝以下韓国皇族に対し、相応の待遇や称号付与をすることを定めていました。
また第4条では、それ以外の韓国皇族についての類似の規定をしていました。この条約に基づき、王公族として李王家が立てられ、日本の皇族に準じる待遇を受けたのです。「王」「王世子」「公」等の身位と、殿下の敬称が与えられました。
植民地とは、ある国からの移住者によって経済的に開発され、その国の新領土となって本国に従属する地域のことをいいます。或いは、武力によって獲得された領土についても植民地と言います。
植民地という定義は色々ありますが、一般にいう植民地の定義とは、その国を略奪するということが常識です。ただし、そうでないものもありますが、一般的に言えることは、相手の国から略奪して富を奪うことです。
 イギリスがインドにしたようにコショウとか、香辛料を略奪して持っていってしまうのです。そのようなことが植民地の大きなテーマです。
すると、日本は韓国から何も持ってきたものはないのです。韓国を併合してやったことは、日本の年15%の国家予算で韓国のインフラの整備をやったのです。道路も無い、鉄道も無い、銀行も無い、学校も無い、韓国には何も無かったのです。既婚の女性は、頭の上に物を乗せておっぱいを丸出ししたチマチョゴリを着て歩いていたのです。
 韓国には交通機関も無かったのです。馬もいないのです。馬を使うとお金がかかるので、人間を使い人間が重たい荷物を頭の上に乗せて運ぶのです。そのような状態です。ですから、韓国を併合して近代化したら、莫大な金がかかるので日本の議会は反対だったのです。
 しかし、日本政府は韓国の併合に応じたのです。日本の国家予算の15%をつぎ込んで、学校を1万校以上造ったのです。それから、平壌から、釜山まで続く鉄道も造ったのです。銀行も、工場も、ダムも、道路も造りました。全て日本の金で造ったのです。ダムで電力を起こし、窒素工場も造ったのです。今も韓国が使っている建物や工場は日本が建てたものなのです。
 当時韓国人は外地籍、内地籍は日本人だったのですが、外地籍の韓国人も日本人だったのです。韓国で一番出世したのが、洪 思翊(ホン・サイク)中将です。洪 思翊(ホン・サイク)中将は、立派な人で日本人として死にました。洪 思翊(ホン・サイク)中将は、大日本帝国陸軍の軍人です。最終階級は陸軍中将です。
大東亜戦争後、洪 思翊(ホン・サイク)中将は「朝鮮人だと言えば助けてやる」と軍事裁判で言われたのですが、「私は大日本帝国陸軍の軍人である」と言って戦犯としてフィリピンで処刑されました。洪 思翊(ホン・サイク)中将の辞世の歌は「昔より冤死(めんし)せしものあまたあり われもまたこれに加わらんのみ」です。(冤死=ぬれぎぬを着せられて死ぬという意味)
洪 思翊(ホン・サイク)中将は、日本統治下の朝鮮出身の日本陸軍軍人として、皇族と同等の優遇を受けた李垠(り ぎん)中将と並び、もっとも高い階級に昇った韓国人です。特攻隊にも1千人くらいの韓国人がいたのです。靖国神社にも当然戦死した韓国人も祀られています。
 日本は韓国を対等合弁したのであり、韓国を植民地にしたのではありません。イギリスはインドを植民地としたので、インド人の将校はいませんが、日本は韓国人でも将校になれたのです。対等合弁ですから、韓国人も日本人だったのです。
 韓国人が「植民地にされた」と言ったならば、「植民地ではないよ」と言ってあげましょう。