一念随喜

大白法・平成20年9月16日刊(第749号より転載)教学用語解説(127)

 一(いち)念(ねん)随(ずい)喜(き)とは、法(ほ)華(け)経(きょう)を修行する初信の行者の位をいいます。

 一念は一瞬(いっしゅん)の短い時間を表し、随喜とは随(ずい)順(じゅん)慶(けい)喜(き)の意で、信頼して歓(かん)喜(ぎ)することです。

 一念随喜は、まず法華経迹(しゃく)門(もん)の『法師(ほっし)品(ほん)第十』に説かれ、次に法華経本門の『分別(ふんべつ)功徳(くどく)品第十七』に説かれています。

 『法(ほっ)師(し)品(ほん)』に説かれる一念随喜

 一念随喜の語が最初に説かれたのは法華経『法師品第十』ですが、ここでは仏の在世と滅(めつ)後(ご)に分けて、一念随喜の者の功徳の深重なることが明かされています。

 この『法師品』の、「妙法華経の、一偈(げ)一句を聞いて、乃至(ないし)一念も随喜せん者には、我皆記を与(あた)え授く。当に阿(あ)耨(のく)多(た)羅(ら)三(さん)藐(みゃく)三(さん)菩(ぼ)提(だい)を得べし」(法華経318頁)の文について、天台大師は『法華文句』に、「たとえ一句一偈という極めて少ない経文であっても、またそれを聞くのが一念という極めて短い時間であっても、それに随順し歓喜する功徳は遂(つい)に成仏の境界を得るのである。まして、五(ご)種(しゅ)(受(じゅ)持(じ)・読(どく)・誦(じゅ)・解(げ)説(せつ)・書写(しょしゃ))を具(ぐ)足(そく)して信行に励(はげ)む者の功徳は甚大(じんだい)である(趣意)」と釈(しゃく)しています。

 『分(ふん)別(べつ)功(く)徳(どく)品』の四(し)信(しん)五(ご)品(ほん)と一念随喜

 法華経本門の『分別功徳品第十七』に説かれる「四(し)信(しん)五(ご)品(ほん)」とは、法華経本門『寿(じゅ)量(りょう)品』の説法を聴(ちょう)聞(もん)した功徳につき、釈尊在世の弟子には四信、滅後の弟子には五品の次第があることを示したものです。

 『法華文句』には、四信について、①一念信(しん)解(げ)(寿量品の教えを聴いて信心を起こすが、いまだ他人(ひと)に説くまで理解が至っていない初心の位)、②略(りゃく)解(げ)言(ごん)趣(しゅ)(寿量品の教えをほぼ理解して智慧(ちえ)を起こす位)、③広(こう)為(い)他(た)説(せつ)(寿量品の教えを広く聴いて理解し、さらに他人のために法を説く位)、④深(じん)信(しん)観(かん)成(じょう)(寿量品の教えを深く信じ、前三品に加えて観行を修し、真理を体得する位)と説かれています。

 次の五品については、①随喜品(寿量品の教えを聴いて随喜の心を起こす位)、②読誦品(自ら経典を受持読誦する位)、③説法品(自ら経典を受持読誦し、他者のために説く位)、④兼(けん)行(ぎょう)六(ろく)度(ど)品(経典の真理を悟(さと)るために観心(かんじん)を修し、そのかたわら兼(か)ねて菩(ぼ)薩(さつ)の六度〔布施(ふせ)・持(じ)戒(かい)・忍辱(にんにく)・精(しょう)進(じん)・禅(ぜん)定(じょう)・智慧〕を実践する位)、⑤正(しょう)行(ぎょう)六度品(仏の真意を会(え)得(とく)し、正(しょう)意(い)として六度を実践修行する位)を説いています。

 このうち、釈尊在世の法華経修行の位である四信の第一「一念信解」と、滅後の五品の第一「随喜品」が一念随喜に当たります。

 これは法華経『分別功徳品第十七』の、「又復(またまた)、如来(にょらい)の滅後に、若(も)し是(こ)の経を聞いて、而(しか)も毀呰(きし)せずして随喜の心を起さん。当(まさ)に知るべし、已(すで)に深(じん)信(しん)解(げ)の相と為(な)す」(法華経 456頁)を依(え)文(もん)とするもので、仏滅後に『寿量品』の教説を聞いて毀(そし)らず、随喜の心
を起こす初信の位のことです。

 なお、同品には、「其れ衆生有って、仏の寿命の、長遠是の如くなるを聞いて、乃至能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳限量有ること無けん」(同 450頁)

と、四信五品中、現在の四信の初信位である一念信解の功徳を説き明かしていますが、この一念信解は滅後の五品位における随喜品に相当するのであり、一念随喜と同意です。

 五十展転(てんでん)随喜の功徳

さらに『随喜功徳品第十八』に至り、滅後五品中の随喜品の因の功徳として五十展転(てんでん)随喜の功徳が説かれています。

 法華経『随喜功徳品第十八』には、「第五十の人の展転して、法華経を聞いて随喜せん功徳、尚(なお)無量無辺阿(あ)僧(そう)祇(ぎ)なり。何(いか)に況(いわ)んや、最初会中に於て、聞いて随喜せん者をや」                          (同 468頁)

と、五十展転の衆生の随喜の功徳が説かれています。

 これは、仏の滅後に衆生が法華経本門『寿量品』の教説を聞いて歓喜し、他の人へと順々に伝え、第五十番目に伝え聞いて、ただ歓喜しただけの人の功徳でさえも無量無辺であり計り知れない。まして最初に『寿量品』を聞いて随喜し、他の人に伝えた人の功徳はさらに大きく計り知ることができないとして、初随喜(一念随喜)の功徳を説いたものです。

 一念随喜は名(みょう)字(じ)即(そく)位

 日蓮大聖人は『唱法華題目抄』に、「義理を知らざる名(みょう)字(じ)即(そく)の凡(ぼん)夫(ぷ)が随喜等の功徳も、経文の一偈(げ)一句(く)一念随喜の者、五十展転等の内に入るかと覚え候(そうろう)」(御書 220頁)

と仰(おお)せられ、経文の内容を知らない私たち末法の名字即の凡夫法華経を聞いて信心随喜の心を起こした功徳は、先の『法師品』に説かれた一念随喜の者と、『随喜功徳品』の五十展転の者等と同様の功徳であると説かれています。

 天台では、一念信解と初随喜とを六即位の相似即あるいは観行即、乃至名字即に当たるとして一定していませんが、大聖人は名字即位とするのが経文の意に適(かな)うと仰せです。

 そして『四信五品抄』に、「檀戒(だんかい)等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを、一念信(しん)解(げ)初(しょ)随(ずい)喜(き)の気分と為すなり。是則ち此の経の本意なり」(同 1113頁)

と、以(い)信(しん)代(だい)慧(え)の信を正行とし、妙法を信受して唱題に励むことが初随喜であり、末法の法華経の本意であると御教示されています。

 ま と め

 私たちは末法の正法である文(もん)底(てい)本(ほん)因(にん)下(げ)種(しゅ)の妙法を聴聞し、各々(おのおの)が一念に随喜の心を起こしてこれを信受しているのですから、そこに即身成仏の大功徳が得られることを確信し、さらに精進していくことが肝要(かんよう)です。

ポリ銀の学習ノート

自分のような未熟の者でも、法華講に入っていただいた功徳の体験を語るだけでも、それを聞いて感心したりすごいなと思って下さるかたがいらっしゃれば、それだけでも大きな功徳になるのですね。

私は、いわゆる「ブラック」とよばれるような職場で働いていました。世間からは、紳士クラブの代表をしている人が理事長です。その方にはお妾さんがいて職場では幅を利かせ、やりたい放題に振舞っていました。宋さんのメールにもありましたが、傍観者や阿諛追従の徒が多い日本ですから、陰口を言いながらもそれら幹部に取り入っている人も大勢でした。

そんな折、昨年の求職活動中に知り合った、ある会社の専務から突然のお電話をいただきました。ずっと私のことを覚えていて下さり、気にかけて下さっていたそうです。

先日、面接にうかがい1時間半もお話させていただきました。そして、その会社へと行くことに決断しました。提示していただいたお給料は、今まで勤めていたところの1.5倍でした。

ここからが勝負でもあります。顕正会の時のようなエア功徳にならないよう、朝夕の勤行を怠けず寺院参詣・墓参・御供養に励んで行きたいと思います。そして、折伏出来る人を得られたらなお幸せだと思っています。