経営の神様の弊害 宋 文洲

1.論長論短 No.194

経営の神様の弊害
宋 文洲

会社を創業した頃、私は経営の神様の本をたくさん読みました。読めば読むほど
訳が分からなくなり、自信を失っていきました。素直に納得できない自分が経営
に向いていないと思いました。

やる気と能力のない社員は良い企業に就職ができません。マンションの一室
で創業を始めた私の会社の社員になってくれるのは他の会社に就職できない方
です。彼らは「就職してやったぞ」みたいな顔をして「普通の会社では・・・」
とよく私を説教するのです。

90年代の経営の神様の本には「社員は家族だ」、「終身雇用は日本企業の強みだ」
などと書いてあります。「このような人を家族にしたくない」、「人様を終身
雇用するより、自分の会社が何年もつかが心配だ」と思いながらも、苦悩する
日々でした。

結局、私が経営者として少し成長し、やっていけるようになったのはいわゆる
著名経営者の本を読まなくなったからです。

「私心がない」人は創業する訳がありません。あれだけの苦労とリスクを背負
うのでだから「お金を儲けたい」「美人の彼女が欲しい」「人に尊敬してもら
いたい」などの私心と私欲がないと創業する訳がありません。

そもそも「経営の神様」と言われるような人達をよく観察すれば普通の人以上
に私心があることが分かります。金銭への執着だけではなく、嫉妬心や名誉欲
が人一倍あります。彼らが成功した理由の一つはその私心が普通の人よりとて
つもなく大きいからです。

大きな私心は野心というのです。大きな野心は志というのです。大きな志は必
ずしも世の中のため、他人のために持つものではないのです。自分のために持
つが、結果として世の中のためになることが多いのです。自分のためなのに他
人のため、世の中のためとばかり宣伝するから欺瞞性を持つのです。

「私は自分のために頑張りました」という経営者は絵になりません。社員も聞
きたくありません。講演も著書も売れません。そんなことをいうと宣伝になる
どころか、逆にイメージが悪くなるのです。だから宣伝したい経営者の多くは
宗教のような精神論と美徳を本にするのですが、問題は彼らの後には立派な後
継者が育ちません。

経営者が育たないどころか、経営の神様が亡くなった後、彼の企業はだいたい
衰退するのです。時代が激しく変化するのに、後継者達は神様の宗教によって
思考が固定化されたからです。

ところが一個人として著名な経営者と会うと、彼らの人間的魅力に惹かれるこ
とが多いのです。天性の人心を読む力と苦労苦難の磨きによって成功した経営
者には人間的魅力があるのは普通です。

この魅力は各分野でリーダーシップを取る人達と共通しています。自立した個
人として自分を律することができます。普通の人が自然にむき出しになる小さ
な私心を隠せるからこそ、普通の人が見せる無責任を我慢しているからこそ、
彼らにはリーダーシップがあるのです。

時間の推移に連れて他人より先に損する、他人より先に責任を取る、目の前の
ことより先のことを考えるという癖が身についてしまいます。それがリーダー
の出来上がりです。

本当は「経営の神様」と言われて恥じるべきですが、喜んで受け入れること自
体は私心です。自分から経営の神様のように振舞えるのはもっと恥じるべき行
為です。経営ノウハウとリーダーシップは成功より失敗を通じて身に付けるこ
とを、誰よりも経営の神様自身がよく知っているはずです。

(終わり)

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