父の死が教えてくれた因縁の不思議

今日は朝一番に末寺様に赴き、昨日の父の葬儀について御礼申し上げてきました。

過去帳に父の戒名を記載してもらうことと、初七日から四十九日までの七日ごとの法要についてお願いしてまいりました。

執事様から七日ごとの法要の大事を、昨日の初七日法要の折に聞かせていただきました。

今まで父母を恨んで生きて来た私でしたが、父母を選んだのも自分であり、父母を正しく選んだからこそ、生まれてくることができたのだということを学ばせて頂きました。自分を捨てる父母・貧しい父母・虐待するような父母…たとえどんな父母であってもそれが正しい父母であり、産んでくれた恩というのは返しきれないほどの大きさであるのだそうです。私のような不孝の息子は、父の死を通してしか悟ることができませんでした。

初めて聞くお話に驚嘆しながら、日蓮正宗の御僧侶のすごさを実感しました。

昨日の執事様のお話の中に、私が学生時代からずっと知りたいと願ってきた、人生の意味を教えていただくことが出来ました。

一切衆生は、なぜ苦しいと言われている娑婆世界に生まれてくるのか。なぜ死なねばならないのに生まれることに意味があるのか。そんなことを気に病んで哲学科にまで行きましたが、答えは見つかりませんでした。

人に生まれて初めて仏道修行が出来るのであり、命を人界に授かることがどれほど有難いことであるかをお知えていただきました。畜生でも聞法の下種(お題目を聞くことは可能だから)を結縁したり、仏道修行する人の血肉になるために生まれるのだそうです。そうした徳を積んで次には人になり、本当の幸福な境涯を得るために仏道修行に素直にはげむことができるようになるのだそうです。

臨終は終わりに臨むと読むのではなく、終わりを救い終わりを繋げると読むのだそうです。ですから、昨日の父の葬儀や初七日の法要は、父を救い父の次の人生を智慧に満ちた、六根清浄の境涯に引き上げてあげるために行うのだそうです。二七日・三七日・四七日・五七日・六七日・四十九日のそれぞれの意味も教えてくださいました。それぞれにそんな深い意味がある事は全く知りませんでしたので、本当に聞くことが出来てよかったと思っております。説明できるほど覚えることが出来ていませんので、ここには詳細に書くことが出来ませんが、次の人生にかかわる大切な節目なのです。

父の本当の初七日は七月三日です。この日は三年前に私が法華講に入信させていただいた日になります。三年の節目に父の葬儀を通して、自分の信仰が今一歩進んだような気がしています。これも因縁の不思議がなせるわざなのかも知れません。