父の臨終から日蓮正宗での葬儀まで

私の父は、平成25年6月27日に死亡しました。死因は肺炎ということでした。

私の職場は携帯電話の私用が禁止されていまして、病院から私の携帯電話や自宅に何度も連絡がありましたが、気付くことが出来ませんでした。

当日の午後に病院を訪れて、父の死を知った妻から職場へ連絡をもらい、父の死を知りました。病院は危篤状態に陥った父の容体を伝えようと、懸命に連絡先を探してくれていたようです。私の不徳の致すところであったと後悔しております。

仕事を早退させてもらい、急いで父の元へ急行しました。病室の扉を開けたとたんに目に飛び込んできたのは、父の真っ黄色に変色した死に顔でした。そして、泣きじゃくっている妻の顔。

私は、とっさにこれは大変なことになったと悟りました。

成仏の相とは程遠い、黄色く変色しむくんだ父の顔。

飛び込むようにして父のベッドサイドに近づき、父の耳元で唱題を始めました。固く閉じあわされたような口元。ものすごくしゃくれて、上唇と下唇がずれていました。目は固く閉じられていましたが、その全体の相が物語るのは、何とも言えない哀しさというか切なさといいますか。

横で泣きながらその様子を観ていた妻は、ベッドに駆け寄った私の方に父の顔が向きを変えたのを観たそうです。

父の耳元で必死になってお題目を唱え続けましたが、一向に様子が変わりませんでした。医師の話では私が到着するまで、なんとか持たせようと1時間近くも心臓マッサージをし続けたそうです。

どうりで苦しそうな表情でした。病院に着いたのが午後4時を過ぎており、葬儀社を呼んで寝台車に引き取りに来てもらったのが、午後6時頃でした。その日のお通夜は不可能で、葬儀社で一夜預かりになりました。

次の日、死亡診断書を持って葬儀社に赴き、父と再び対面。

少し穏やかな表情になったかと思ったものの、今度は下顎が緩み始め口が大きく開き始めました。色は相変わらず黄疸の影響で、黄色いまま。

納棺師が到着し湯灌が始まりました。

死化粧をしてもらい、口も閉じてはもらったものの、そんなものではごまかせないものが相ににじみ出ておりました。

午後6時から通夜式。

執事様はじめ法華講の多くの方々が弔ってくださいました。

それなりに死相を整えてもらってはいたものの、父の修羅道転落は明白であり隠すこともできない有様でした。法華講の幹部の方が、「大丈夫。絶対に助けてあげられるから。心配ない。」と声をかけて下さいましたが。私は父の人生を思い返し、「賞罰正しき仏様ですから」と父の悪趣落ちを嘆くほかありませんでした。

通夜式が終了し、執事様が返られた後父の顔を覗き込んだ時、その相の変化に驚きを隠せませんでした。父の相から黄疸の黄身色が抜け、朗らかな感じに変わっていたのです。法華講の数名の方にも見ていただきましたが、「きれいな相になっている」と、驚きの声が上がっておりました。

幹部の方はさらに、「大丈夫って言ったでしょう。明日の御住職様の葬儀の後にはもう一段きれいになるから」と仰っていました。

そして、本日葬儀が御住職様を導師として行われましたが、法華講の方が仰っていたように本当にきれいな相に変わっておりました。色白く、口元は微かに開き微笑んでいるように見えました。

そして、信心をしていない親類からも感嘆の声が漏れてきました。

私も父の白くなった顔を見て「父ちゃん、良かったなあ」と、父の頬を撫でさすりながら何度も声をかけました。涙が止まりませんでした。

参列して下さった方が、口々にきれいになったことをほめて下さり、私も心から安堵いたしました。

父が成仏したかどうかは分かりません。追善供養を懸命に行っていきたいと思うばかりです。

勧誡式で御住職様を侮辱し、創価・顕正に長年心酔した罪業は深く重いでしょう。息子の私も同じです。

しかし、それでも真摯に通夜・葬儀を執行して下さった、日蓮正宗御僧侶に感謝いたします。そして、父への回向を続けなんとか改心させて、次の生へとつないであげたいと思った次第であります。

祈りとして叶わざるなし―なんとしても折伏させてください (法華講員体験シリーズ)

祈りとして叶わざるなし―なんとしても折伏させてください (法華講員体験シリーズ)

法華講員の心得

法華講員の心得

創価学会が正しいと思っているあなたへ (創価学会員への折伏教本 分冊版)

創価学会が正しいと思っているあなたへ (創価学会員への折伏教本 分冊版)