顕正会の浅井会長に信心はない

枝葉末節の議論はさておき、浅井さんの信心がなぜ偽物なのかということを述べたい。

浅井さんの行動の原点は、池田大作が正本堂という建物を広宣流布の時に建立される戒壇堂であると意義付けたいとした、野心を砕くことにあった。

時系列に即して詳細に研究していけば、そこにも矛盾や自語相違が明らかになってくるのであるが、凡夫の浅慮であることを考慮すれば、昭和40年代の創価学会池田の不埒な野心に、捨て身でかかって行ったのは彼だけだという、顕正会の言い分を取りあえずは受け止めることができる。

戒壇には「事相」と「法体」の二つの意味があって、「法体」に約せば戒壇の御本尊様は常に事の戒壇である。三大秘法総在の御本尊様であるから、いついかなる時も事の戒壇であることは明白である。「事相」に約せば広宣流布以前が「義」の戒壇であり、広宣流布の時に本門寺本堂に安置せられた姿が「事」の戒壇である。

ここをごちゃまぜにして信徒を誑かそうとしたのが池田であるが、その経緯は省きたい。

浅井さんが創価学会と闘い、宗門に意見具申したのはこの謀りの事だといえば、そこに一応の得心もいく。

しかし、彼の根柢の本性は食法餓鬼であるので、彼の上っ面の言葉を鵜呑みにしてしまった末端会員のために、以下の言説を記す。

私も19歳の時に浅井さんの「創価学会・宗門抗争の根本原因」「なぜ創価学会員は功徳を失ったのか」を読んだ時、素直に浅井さんの言葉に納得してしまった。

実際に創価学会員は功徳を失っていたし、何かがおかしいと古参の創価信徒の一部は口にもしていた。それは、池田礼賛(池田教)に原因があったのだが、多くの創価学会員は気づいていなかった。

日蓮正宗創価学会の決別の原因に正本堂の意義づけがあったことは、後々、猊下様のお言葉から明らかになってくるのであるが、この当時の状況から言えば顕正会の言説にも一理が存在したといえるであろう。

そして、平成3年ころから平成9年ころまでの顕正会には功徳もあるように感じられた。しかし、状況は大きく変わる。平成11年ころから浅井さんは、猊下の血脈に疑義をはさみあろうことか御本尊様の回収をひそかに行った。

正本堂が解体されたのだから、顕正会の言い分が受け入れられようが入れられまいが、会を解散するべきだったのではないだろうか。

私個人の思いからすれば、ここで道を大きく踏み外したということであろう。

では、そこになにがあるのであろうか。

歴史にもしもはないが、あの時点で浅井さんが会を解散し宗門への回帰を会員に宣告していれば、御宗門の対応も変わったのではなかったか。

御宗門は慈悲心深いのでお許しになったかもしれない。いや、おそらく許されたであろうというのが、私の推測である。

それについて詳しいことは言えないが、私は、ある海外信徒団体の件でそれを感じたのである。

時の猊下様がお許し下されば過去は清算できたのである。

いかに浅井が食法餓鬼であろうとも、御宗門が必要とされれば餓鬼界も仏であるからだ。

浅井さんは自分のメンツから泥沼の地獄を選んだのだ。

考えてもみよ。国立戒壇などという近代造語がなんの意味があろうか。

日顕上人様の平成3年からの御自身の懺悔を見よ。

浅井のような自語相違の輩になんの反省があろうか。

無謬性の権化、それが浅井であり伏せ拝であり、無二の師匠という修飾語であるのだ。