国立戒壇論の誤りをどうやって顕正会員に分からせるか

顕正会員さんで今現在、法華講に在籍されている方々がブログや対論で、顕正会員の妄執と苦労して格闘なさっています。

僕も確か昨年の今頃でしたか、ブログで国立戒壇について書きまくっていて、結局自分の浅い見識から魔に入られてミイラ取りがミイラに…ということになってしまい、支部の方からお叱りを受けてしまいました。

その反省もあり法義上の論議講説は慎んでおります。

ただ、顕正会員が染まった洗脳やマインドコントロールは非常に呪縛が強いことを、身をもって知ったわけでその責任を果たすためにも、元顕正会員である我々にはいろんな角度から縁作りをしていかなくてはならないと思っているのです。

大百法の体験談にも元顕正会員の方が出て語っておられましたが、表向きは顕正会員はインターネットのことを時代錯誤して、便所の落書きとか言ってさげすみながらも、ネット上の顕正会関連の記事を鵜の目鷹の目で見ているようです。

かく言う私も目を覚ましたきっかけはネットでした。

そこで、今日は私なりに考えた御宗門の国立戒壇放棄宣言の思いというのを、お話してみたいと思います。

論語

〔 原文 〕
子曰、民可使由之。不可使知之。
 
〔 読み下し 〕
子(し)日(のたま)わく、民(たみ)は之(これ)に由(よ)らしむべし。之(これ)を知(し)らしむべからず。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「人民を政道に従わせることはできるが、一人一人にその内容を理解させることは難しい」と。

という有名な言葉があります。2500年前の封建時代も民主主義下の現代も、一般大衆の政治に対するセンスは、さほど変わっていないようです。ここでは「之」を政道と解しましたが、「伝統文化」ととっても「社会の習慣や規範」ととっても良いでしょう。

この章を「人民は黙って政治につき従わせておくべきで、いちいち内容を説明すべきものではない」と曲解している人に時たまに出会いますが、これは可(べし)・不可(べからず)を命令形(〜せよ!〜するな!)と勘違いしているんですね。(残念ながら日本の官僚は皆勘違いしているようですが)ここで使われている可(べし)・不可(べからず)は可能形で、できる・できないの意味です。

この文章に雍也第六141章をつないで読むと、一層意味合いがはっきりするのではないでしょうか。「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。中人以上は以て上(かみ)を語るべきなり。中人以下には、以て上を語るべからざるなり。(人民を政道に従わせることはできるが、一人一人にその内容を理解させることは難しい。何故かと云うと、中根以上の人には高尚なことを云っても理解できようが、下根の人には高尚なことは中々理解できないからである)」と。

顕正会の浅井が今現在もワーワー言って非難する、御宗門が国立戒壇という便宜的な言葉遣いを放棄したというのは、こういう御心から発せられたと思うべきだと思っています。これを仏法用語で四悉檀とうのですが、いくら説明しても納得しないでしょう。

顕正会員は人にもよりますが、激烈な勧誘に騙されて入って来るような人達ですから、まさにこの論語の言葉が指す典型的な中人以下の「民」なわけです。そして、昭和40年代当時の日本国民も、まさに高度経済成長期という今の中国のような社会情勢で、非常に社会的にも不安定な時期でありました。

当時は「天皇」「国教」なんて言葉はそれだけでアレルギー反応を起こさせ、まさに無用の誤解を与える状況だったのです。学生が共産主義革命を夢見て学校を封鎖したり、鉄パイプや火炎瓶で機動隊と殴り合っていたんですよ。今のいじめがどうしたとか、一昔前のヤンキーがどうしたどころの騒ぎじゃなかったんです。

そんな社会的な風潮もあり、創価学会折伏大行進も非常に荒っぽかったんですね。顕正会拉致監禁暴行が可愛く見えるもんだったといいます。現に昭和49年に顕正会創価学会に殴り込みをかけますが、逆にキャインといわされボコボコに殴られています。しかも、アホなことに逮捕されたのは顕正会員側でした。

今も自衛隊が迎撃ミサイルを沖縄に配備しただけで、反対派は基地を取り囲み妨害工作をします。北朝鮮のミサイルを迎撃するためのものなのにですよ。それほど、民衆というのは愚かなんですよ。その愚かさは顕正会員も全く一緒です。

日蓮正宗の本門戒壇建立の情熱は、そんな安っぽい左翼・右翼のイデオロギー対決とは無縁の、崇高な理想なのです。ですから、戦後20年以上経って世論が左傾化していた当時に、大聖人様のご遺命が曲解されては法を下げることになるので、国立戒壇の言葉を封印し世相がそれほど変わらない今も封印され続けているだけのことなのです。

ですから、それまで明治期から昭和前期にかけて御上人様が、国立戒壇ということばを本門戒壇の意味で使われていたとしても、それを盾にとるいうことは全くの的外れということのなのです。

今も首相の阿倍さんについて、世論は褒めたり貶したりと忙しいですよね。広宣流布折伏活動はそんなものに関係がないのだということを、顕正会員にわからせてあげ、むしろ原発や阿倍首相を云々する顕正会こそ、政治団体みたいだねと笑ってやればいいと思うのです。

メール porigin@yahoo.co.jp
ライン porigin