言動に人徳が顕れてこなければ本当の信心ではない。

樋田さんの話にはすごい説得力があって、「人生の意味とは人徳を積むこと」という結論には、全く同意するほかない。

人生の意味ってなんだろうと考えたことのある人は、この日本にも大勢いるだろう。しかし、哲学者なども人生が死で終わる以上、そこで行き詰ってしまって無意味と結論付けてしまうことが多い。

功徳という言葉を日蓮正宗では良く耳にするのだけど、創価学会顕正会でいう功徳とは意味合いが少し違うと感じるのも、この辺の深さにあるのではないのだろうか。

要するに功徳を積むというのは、勤行・唱題・御給仕・寺院参詣・ご供養・折伏・御登山をすることによって、知らず知らずのうちに人徳を身に付けているということを教えてくれているのだ。

いくら論語を必死で読んでも、末法の衆生にとっては空念仏で身に付きはしない。末法は無戒というが戒がないのではなく、甲斐がない(無意味・無駄)のだ。

世に自己啓発書の類はあふれているが、本屋でそんなコーナーに立って真剣に選んでいる人は、必ず失敗者であるという皮肉を聞いたことがある。

つまり、本物の人徳を身につければ、自然に人は自分の発する言葉に耳を傾けるようになり、自分の地位も自然にあがってくるとうこと。

創価学会顕正会が囲み折伏をして、相手を追い詰めるような勧誘をすると聞くが、そんなのはもってのほかであって返って人徳を損なうことになっているのではないだろうか。

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